2024/09/14

【デフォルメ理論2】そもそも『デフォルメ』とは何か定義する

いわゆる横文字は日本の社会に定着する際に元の意味以上の、多くは限定的な意味を与えられることが多い。デフォルメの元である単語、英語で言えばDeformationは1で述べた通り「変形」と言う意味であり、「かわいさ」や「萌え」といった概念を内在するものではない。対象に「かわいさ」など別のイメージを与えるようなデフォルメは後述するとして、ここでは一度、「変形」のみに着目した考察をしていく。

デフォルメの代表例と言えるキャラクターなどは特徴を抽出しているという共通点がある。キャラクター間の差別化、そもそも目的がPR活動等理由はあるだろうが、多くのデフォルメされたデザインは元のものよりも元の特徴を誇張しているものが多いことは経験的に明らかなのではないだろうか。


少し本題からは逸れるが、脳科学では人間の脳は他の人の顔を特徴を誇張した似顔絵のような姿で認識していると言われている。この機能は人間の顔認証の仕組みであるが、他の生物や無機物、車などを見分ける際にも役立つとのことである。ほとんど差のわからないものをマニアは見分けられることがあるが、意外にも脳のこの認知の産物ということである。視覚的部分に関してはキャラクターも同じようなことが言えるのではないだろうか。キャラクターの場合には抽出する対象が多くなるが、ありのままを描く、ではなく認知の産物とすると、デザインの本質的な部分が理解できそうな気がしてくる。


 デフォルメに関して帰納的ではない解釈を試みよう。今後の考察のためにここでデフォルメに定義(のようなもの)を与える。

それは『記号化』である。


上記のようにデフォルメの本質は「認知の出力」であり、ある意味では見たものを見た通りに表していると言える。本来図面のように示される姿で見ているわけではないため、デフォルメされた姿の方が自然に感じられるだろう。また、「アニメ顔」は明らかに見た通りではないが、元をたどれば進化の系列は人間の顔というよりアニメや漫画内での独立した進化ともとらえられる。

また、『記号化』においては文字の半角・全角のように一定の型に合わせるようにデフォルメされるということも重要である。これはイラストでは特に顕著であり「二頭身」のように型が前提となるデザインが広く用いられる。「擬人化」という多く見られるキャラクターのデザイン方法にも「人型」という形を基準とした記号化と言えるだろう。あまりに話を広げすぎるのは危険だが象形文字にも通じるものであり、意外なほど普遍的に見られるものと考えている。


こんなものは存在しないがマスコットキャラクターをモデル化するとしたらどのようなものになるだろうか。一応変形に関しては1で示したようにある程度先行研究が存在しているが、デフォルメを変形のみで説明できるとは思えない。

マスコットキャラクター関数をY(X)とすると、変数は地方の特性などさまざまなものが代入(?)できる。一方出力はキャラクターであるため、四肢などの構造的な制約を受けた実体を持つ「何か」であるCharacter (x)が出来上がる。


Y(X) = Character(x)

X ≡ 任意の次元を持つ認知可能かつ非選択的な情報の集合

x ≡ 2次元、あるいは3次元で表現可能で動物や人間と同相の形態を持つ

ここで、Xがもともと固有の形状などを持っていた場合、特徴(ここではCとする)が抽出され、情報量が低下するという性質がある。物理的に存在するものはほぼ確実に変形を受ける。

しかし、それ以上にキャラクターの行動や性格などに、存在しないものや形状を持たない情報を反映することもある。例えば、キャラクターの名前に地名を入れるようなものである。それでも制式な名前をそのままということは少ないためある意味「変形」を受けていると言える。

よって、物理的に存在する特徴をC、物理的には存在しない特徴をTとすると、

X = {A, B, C, D, E,...T,...} (情報の固有性: C, T >> A, B, D, E,...)

x = {Deform1(c),  Deform2(t),...} (c: 2次元か3次元で表現可能な要素)

のように表現できる。前途多難ではあるが、個人的には変形のみの分析より興味深い試みだと思う。数理モデルというアプローチはおそらく不可能に近いが構造化は可能性があるのではないだろうか。

イメージ図


最初、「何か」としたのはデフォルメに関する重要な見落としがまだ存在するからである。それは、デフォルメはそもそも元の内容がわからない人にとってはデフォルメではない、ということである。

初めて見た人はデフォルメされた姿を見ても、強くデフォルメされていたとしても元のデザインとの違いを疑う余地がない。これは当然であるが、すでに特徴を理解していないと「デフォルメであること」は通じない。理解していない概念の見たこともないような部首を用いた漢字を習ったとしても画像以上の情報にならない、というようなものであり、デフォルメして「わかりやすく」なっているにも関わらず、である。これは実に皮肉であるが、色を認識できない牛(現在では二色型色覚であると言われているためモノクロではないが結局「血の色」に見えているかは謎)に赤い布を見せて喜ぶなど、人間にはこういった側面がある。


次回は模型の関係について論じたい。

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